プロフィール

はじめまして。Webコンサルタント・マーケッターの本田と申します。
 
もともとはガテン系の仕事が好きで、インターネットなんて大嫌いでした。
 
そんな私が、今ではネットビジネスで生計を立てている。
 
ここでは私の生い立ちから、ネットビジネスを始めるに至った経緯までをお話します。

幼少期~小学校

1980年奈良県の片田舎に、文具やキャラクターグッズなどの雑貨販売屋の長男として生まれる。

幼少期は、大工さんになるのが夢だった。
石や段ボールや棒切れなどのゴミ同然のガラクタを集めては、切ったり貼ったりして何かを創るのが大好きだった。
もらったお年玉を入れておく貯金箱や日めくりカレンダーなどを自作していた。

小学校に入ると、ごく普通の子と同じように、習い事(水泳、エレクトーン)や
遊び(野球、サッカー)などをやりつつも、いろんな実験をするのが好きだったちょっと変わった子供だった。

具体的には、カメやウサギの飼育係をしていたときには、ウサギのふんをカメに食べさせたり、カメを何度も何度も裏返しにしたり、
カメを2階から落としても生きていることを確認したり(殺意はなくただただ興味本位)といろんなことを実験しては、先生に見つかって怒られていた。

小学校5年生から、教育熱心だった母親のススメで、塾に入り中学受験を目指すも、全然成績はダメ。
親に怒られまくるも、私自身は勉強に意義が見いだせず、一向に成績が向上しなかった。

ただ、ある時とんでもない悪い点数をとり、親に怒られるどころか、愛想をつかされてしまった。
それが妙に悔しかったのか、はじめて勉強しようという気になる。

本気で勉強すると少しずつコツをがわかり、成績は伸びていった。
TVゲームの点数を増やすような感覚で、テストの点数を伸ばすのがおもしろく感じるようになった。
テストの点数も伸び、大阪の某中高一貫校の中学に合格した。

中学校

父親が自営業でそこそこ稼いでおり経済的にも恵まれていたため、奈良から大阪の私立中学校に通えることになった。

思い返せば、奈良の地元の中学校ではなく、大阪の中学校を目指したのは、大阪に憧れていたため。

当時は、奈良の田舎に住んでいたので、大阪はとてもキラキラして魅力的であった。

奈良のローカルな商店街にはないゲーム機や映画が、大阪の難波近辺のゲームセンターや映画館では公開されていたり。
中学生だった私からすると、大阪の街は背伸びした大人な感覚を味わえる環境であったのだ。

そして、大阪の街には誘惑も多く、勉強も部活もそこそこに、学校帰りにゲームセンターにたまりタバコを吸ってワルぶっていた。
といっても、他校と喧嘩するとか気合いの入ったヤンキーではなく、恐そうなヤンキーを見かけると目をそらし、
日常生活品やチャリなどを万引きしたり、カバンをぺったんこにしたりするカッコだけのダサい中学生だった。

中学校は中高一貫の進学校なため、ワルぶってツルんでいた仲間も、家ではしっかり勉強していた。
一方、私は不器用な性格のため、勉強にまったく興味を失ったため、まったく勉強せずに成績は常に最下位圏。
そのうち、学校も休みがちになり、出席日数や単位が足らず、中学から高校へエスカレーター進学できなかった。

高校

高校は、私服で通え、奈良の実家からの通勤路が大阪アメリカ村を通る、大阪の天王寺にある高校に進学した。

中学時代と違い、ワルぶるのはダサい、オシャレになろう、と思っていたためか、
学校帰りによくアメ村の古着屋さんなどを回り、なけなしの小遣いをはたいて、いろんな服(ほぼ古着オンリー)を買うことを楽しんだ。

どちらかと言えば内向的な性格だったため、オシャレにはなっても、合コンしても女性に対して積極的になれず、結局高校3年間で彼女はできなかった。

勉強も遊びも恋愛も中途半端でゆる~く過ごした3年間だったためか、将来やりたいことも特に見つからなかったため、周りの仲間と同じように大学に進学することに決め、大学受験をした。

地元の関西の私大を受験し、合格したものの、奈良県の親元から通うのはイヤだった。

「地元を捨てて、新天地で勝負したい」と大儀名分をつけて、1浪し、関西圏以外の大学に通い1人暮らしする許可を親から得る。

浪人中

浪人中は、予備校に通う時間と金がもったいないと理由をつけて、宅浪する。

浪人中は運動不足になるからと高校卒業祝いの金で、犬を買ってきて育てる。

さらに、子犬の散歩だけでは運動不足になるからと、近所のジムに通い筋トレにハマる。

朝~夕方まで犬の世話と筋トレ、夜だけ集中して勉強しようとするも、ほとんど疲れて寝ていた。

ときどき、高校の同級生で浪人しているヤツら、大学に進学したヤツラと「情報収集するから」と口実をつけ、何だかんだ遊びに行ったりしていた。

今考えると、世間一般でいう浪人生とは全然違っていて、本当に自分の好きなことを、好きなだけやって毎日充実した毎日を送っていた。

そんなやりたい放題やっていると、普通の親なら「浪人生なのだから勉強しろ!」と言うに決まっているのだが、
私の母親はちょっと変わっていたのか、ほとんど「浪人生なのだから勉強しろ!」とひつこく言われた記憶がない。

好きなことをやりたいだけやって、ストレスフリーな生活スタイルを送り続けたのだが、
センター試験の2か月ほど前から、さすがに「遊んでいてはヤバイ!」と気合を入れなおし、勉強に集中した。

センター試験ではそこそこの点数がとれた。

志望校は、センター試験の比率が高い大学を選んでいたので、アドバンテージを活かして、2次試験前はそこそこの勉強で無事志望校に合格し、北海道の大学に入学し、念願の一人暮らしを始める。

大学生

大学時代は、一人暮らしとなりまったく束縛がなくなったため、一気に生活が荒れた。

親から学費や家賃を出してもらっていることの感謝もなく、バイトと筋トレと遊びに明け暮れた。

大学時代の一番の思い出としては、初めて海外旅行で日本以外の文化を体感したこと。
何回か海外旅行に行ったが、2003年にインドに1ヶ月旅行したときは、見るものすべてが見新しく刺激的で、世界観が広がった
ガンジス河で死体が流れているのを目の当たりにしたり、土産物屋のおっさんにボったくられたり、生水飲んだのがたたったのか帰国後腸チフスになり1ヶ月隔離病棟に入院したりした。

就職活動は、面接マニュアルなどを無視して我流で体当たりで取り組んだ。
面接時に私服で行ってみたり、カジノで1日100万以上勝ったと自慢話をしたり、グループ面接で隣の学生がしゃべってる時にガヤとばしたり、一通りアホなことやったあげく某IT企業にエンジニアとして就職する。

IT業界を選んだのは、私が就職活動していた2005年当時はホリエモンがたびたびメディアに登場していたため、IT業界は稼げるし、一生目まぐるしい変化の中に身を置いておけ退屈しなさそうと思ったため。

社会人

社会人になって入社初日にやらかしてしまう。

入社して部署に配属された初日、歓迎会の酒の席で、大先輩のおじさんの説教に反論。当時ホリエモンなどを崇拝していた私は
「ホリエモンはこうやって成功した。先輩のやり方は効率が悪い」などと、何も実績がないくせに指摘し、先輩を怒らせる。

あげく、翌日入社2日目にして寝坊して遅刻。早々に転職しようかと思った 笑

その後も、平日に明け方までベロベロになるまで飲んだ翌朝、出社して自席についた瞬間、隣の席のワイン大好きなお局様から「昨日けっこー飲んだ?」
と聞かれ、悪びれる様子もなく「何でわかったんですか!ソムリエじゃないですか!」と軽く皮肉ってしまい、始業直後から延々怒られたり・・・

入社して1年程度は、仕事以外の服装や酒や遅刻など生活態度全般で、さんざん説教された記憶がある。

生活態度も改め仕事に取り組んでいたものの、残業や休日出勤や夜勤などの多さに会社員でいることに疑問を感じ始めた。
いろいろ調べていくと独立した方が、責任は重くなるが時間や金の自由はきくと思った。

ネットビジネス

そのうち、2010年ごろにネットビジネスを知る。
インフォトップなどで情報商材を買い、見よう見まねでブログやメルマガで情報発信を始めた。

しかし、いっこうに読者は増えず、AmazonやASPのアフィリエイトをやるも、1円の報酬も発生せず・・・
アフィリエイトもまともにできないのに、血迷って情報商材も作成しはじめ途中で挫折。

結局ネットビジネスは、1年ほど続けてやめてしまった。

その後、2012年ごろからはFXでデイトレードを始めた。
教材や本やセミナーなどで勉強を重ね、1年間続けた結果、年間トータルで±0にもっていけるようになったが、
元手が少ないと銀行の複利計算方式で利益が膨らむスピードが遅いため、トレードから手を引くことにする

再びネットビジネス

2014年からアフィリエイトをやり始め、最近ようやく月に2万円の収益を上げられる様になった。

しかし、アフィリエイトでは月10万くらいまでは稼げても、月100万以上稼ぐのは難しいとの結論に達したため、
アフィリエイトをやりながら、別のインターネットビジネスをやることに決めた。

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